卒業生・修了生メッセージ

今村 三千代 さん

児童学研究科 博士前期課程 [児童発達学]修了

児童学研究科 博士前期課程 [児童発達学]修了

苦労を抱え込んでしまう母親をどのように救うことができるか
一貫して母親支援を考えています。

母親支援を模索して縁に導かれて聖徳へ。

大学を卒業後、一般企業に勤めていましたが、結婚を機に主人が園長を務める幼稚園に入ることになりました。今考えても稀なケースだったと思いますが、ちょうど当時、あるお母さんが極度に憔悴されて、どう対応すべきか教職員全員で悩みながら対応したという事例がありました。最終的には何とか落ち着かれたのですが、果たしてそれが最善策だったかという点も含めて考えさせられ、これからこの仕事に携わるに当たって心構えが必要だと強く感じた出来事でした。そんな折、園に届いたカウンセリング講座の案内が目に留まり、試しに通ってみることにしたのです。それは、心理面を学ぶ教室だったのですが、お話は、なるほど!と思うものばかりで、実生活での悩みを解決する心理的なノウハウがたくさんありました。
 例えば、相手ではなく自分自身に視点を切り替えることで、勝手にイライラして無駄なエネルギーを使わずに済んだりと、私自身も救われるような内容でした。小さなことですが保護者方の支援につながりそうなヒントがいっぱいあり、もっと勉強したら周りにアドバイスしてゆけるかなと思いはじめたのです。そんな目からウロコのお話をしてくださったのが、講師にいらしていた聖徳大学の鈴木由美先生でした。そして「もっと勉強したかったら大学院へいらっしゃい」と誘われるがままに、大学院へ入学することにしたのです。

仲間から刺激を受けて時間と競う日々。

 私の場合、「もう少し先生のお話を聞きたい」という軽い気持ちで入学したので、はじめは勉強をしていても、ただ読書しているだけのようでつまらなく感じていました。自分は何をしているんだろう、研究ってなんだっけ?と自問する日々がつづき、大学院に籍を置く意味が見せず、勉強は捗りませんでした。
 それでも研究が進むにつれ、ゼミやスクーリングで仲間もでき、ご指導いただく内容が理解できるようになって、楽しめるようになってきました。なかでも刺激を受けたのが、仲間内に半年間で全部のレポートを書き終えた人がいたこと。私が悶々としていた時期に、です。こういう人もいるのか、それに比べて自分は…と残念な気分になりました。よし、自分も頑張ってみようと自分を叱咤する力が湧きましたね。強烈なインパクトでした。
 勉強を進める上で鍵になったのはスピード感でした。専門書を読むにも思考を整理するにも、締め切り前はスピードアップが不可欠でした。専門書は読み進めるのに時間がかかりますが、タイムリミットがあるため時間に追われながら早く読了しなければならず、すごく頭を使う作業でした。また、修士論文執筆では50ページもの文書を書く経験は大学の卒論以来で、論旨一貫させながら全体の構成をまとめるのは大変でした。思考スピードが速い人を羨ましく思いながら、自分なりに思考整理の方法を学んでいけた点は、いい勉強になったと思っています。

苦労を抱え込む母親を楽にしてあげたい。

 論文テーマは日本ではあまり研究されてない分野でしたが、主に、母親による家事育児への父親の締め出しの兆候と、母親自身の不安感の関係をテーマにしたものです。現場で見てきた実感として、お母さんたちの悩みの理由は主に子どもの発達に関することですが、なかでも不安を抱いて苦しんでいる方というのは、お母さんが一人で育児を抱え込み、お父さんが応援団になっているような夫婦関係でした。「お父さんも当事者になってください」と促すのですが、お母さんのほうが逆に抱え込もうとしてしまうのです。そんなことはやめようと説得を試みるのですが、お母さん本人も簡単にはやめられないようでした。
 幼少時代からの思いもありますが、私自身は一貫して母親支援という面に意識が向いていました。現在も、現場で見るとやっぱり苦しそうなお母さんもいらっしゃって、時代は変わってないんだなと感じてしまいます。それに数年前に注目された「家事ハラ」という言葉の扱いにも違和感を感じて、ひとつ思い当たることがあったんです。それは家事という無償労働が女性に押し付けられている社会的構造が女性や子どもの貧困につながるという「女性に対する社会的なハラスメント」として使われた本来の意味が歪められ、家事から男性を締め出すという「女性から男性に対するハラスメント」というイメージで扱われて、当時は論争になったのですが、この時、家事ハラには両方のタイプがあるのではと感じたのです。しかも夫を家事育児から締め出した妻は、その家事ハラによって気分を良くしているのかといえばそうではなく、むしろ苦しんでいる。自分で自分を苦しめている自縄自縛という状況が見えたのです。でもそうした状況がわかっただけで、実際に苦しむお母さんたちを解放するために何をしてあげられるかは、まだこれからだという思いが残りました。
 ただし、これまでは目の前にある仕事をすることが社会貢献だと思っていましたが、今回、それだけではなく研究や論文発表というものも、回り回って社会貢献になるのだと実感しました。私が論文に取り上げたテーマは、実は英語で書かれたものが少ないので、せっかく英文科を出たからには、今後、可能性があればもっと関わっていけたらいいなと感じています。

幼稚園のマネジメントに社会的視点も活かして。

 大学院を修了しても職種や職場環境に変わりはないのですが、これまでのような、「このお母さんにどう対応したらいいだろう…」という迷いはなくなった気がします。こういう場合にはこうする、それがダメだったらこう、と明確に対応ができるようになりました。
 100%の正解はありませんが、涙を流すお母さんや課題を抱える教職員への対応がブレなくなったと感じています。教職員へのマネジメントにおいても、子どものためにここは言っておかないといけないな、という思いで対応に揺るぎがなくなりました。もしかすると周囲に怖がられているかもしれません。でもそういう人がいなければいけない、と思うようにしています。
 教職員はベテランさんほど神様のような対応をしますし、完成されています。それでも社会的な要請は変化していきますから、他のやり方についての可能性も考慮する必要が出てきます。以前に比べて、そうした社会的な目がマネジメントにも入るようになったと思います。これまでは、自分が世の中の論文を読むなんて思いもよらなかったことなので、こうした変化は大学院での勉強の成果だと思いますね。学会や最新の論文にある知見・社会的な視点を、より多くマネジメントに活かせるようになりました。

有意義な3年間を経て大きなやりがいを実感。

 私がそうだったように、学問との出会いは何がきっかけになるかわかりませんが、思い立ったが吉日だと思います。きっと、これまで知らなかったディープな研究ワールドの入り口が待っているのではないでしょうか。苦しいけれど面白くて、修了時にはこれまでにない達成感と、かけがえのない仲間を手にしているはずです。
 私にとってはとても有意義な3年間でした。特に締め切り直前など、自分なりにスピードを競うのは面白い体験でした。脳力の限界を感じたのは人生で二度目でしたが、限界に挑んでいた若い頃の体験を思い出しました。そして修了した今は、何よりお母さん方や教職員たちが、何かに気づいて次のステージに進めたように感じる時、心から良かったと思います。表情も変わるんですね。お母さんが安定することで、子どもの表情もコロっと変わります。そういう時は、心からホッとした気持ちになりますね。それが、今一番やりがいを感じる瞬間です。