児童学部 児童学科 児童教育コース (現:小学校教員養成コース)卒業
阿部 隆樹 さん
「先生になりたい」
ずっとその夢を見続けてきました。でも、大学受験の頃、弟が病に倒れて寝たきりになり、祖母と弟の介護を家族で助け合ってするために大学進学は断念。保育の専門学校に進学しましたが、学科の廃止が決定し、保育士資格を取得できないまま卒業。それでも夢をあきらめられず、卒業後はアフタースクールのアルバイトに就きました。
家族の介護と他のバイトの合間の、たった2時間。それでも、子どもの成長を見守り、笑顔を引き出す仕事に大きなやりがいを感じていました。3年目に、東日本大震災で被災。家を流され、仕事も失い、転居して新しい生活を始めることに。そこで出会ったのが、復興支援事業のスクールサポーター。
小学校で授業の補助や学習支援を行う仕事を通し、先生がいかに大変な仕事かを知り、それ以上に魅力があることを改めて実感できました。祖母の介護が落ち着き、将来を考える余裕ができた時には、7年が過ぎ、29歳になっていました。
「やっぱり先生になりたい。でも免許取得には時間もお金もかかる」「彼女との結婚も考えたい。夢をあきらめても安定した職に就くべきだろうか」と悩んでいると、小学校の先生方から「子どもたちといると阿部君は本当に楽しそうだね。だから子どもたちも自然と笑顔になれる。先生を目指してみたら?」といってもらえたんです。事情を話すと「聖徳なら、働きながら学べるよ」とアドバイスをもらえました。夢の手前で立ち止まっていた自分の人生が、動き出した瞬間でした。
ずっとその夢を見続けてきました。でも、大学受験の頃、弟が病に倒れて寝たきりになり、祖母と弟の介護を家族で助け合ってするために大学進学は断念。保育の専門学校に進学しましたが、学科の廃止が決定し、保育士資格を取得できないまま卒業。それでも夢をあきらめられず、卒業後はアフタースクールのアルバイトに就きました。
家族の介護と他のバイトの合間の、たった2時間。それでも、子どもの成長を見守り、笑顔を引き出す仕事に大きなやりがいを感じていました。3年目に、東日本大震災で被災。家を流され、仕事も失い、転居して新しい生活を始めることに。そこで出会ったのが、復興支援事業のスクールサポーター。
小学校で授業の補助や学習支援を行う仕事を通し、先生がいかに大変な仕事かを知り、それ以上に魅力があることを改めて実感できました。祖母の介護が落ち着き、将来を考える余裕ができた時には、7年が過ぎ、29歳になっていました。
「やっぱり先生になりたい。でも免許取得には時間もお金もかかる」「彼女との結婚も考えたい。夢をあきらめても安定した職に就くべきだろうか」と悩んでいると、小学校の先生方から「子どもたちといると阿部君は本当に楽しそうだね。だから子どもたちも自然と笑顔になれる。先生を目指してみたら?」といってもらえたんです。事情を話すと「聖徳なら、働きながら学べるよ」とアドバイスをもらえました。夢の手前で立ち止まっていた自分の人生が、動き出した瞬間でした。